jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

若者は三猿か--見ざる,言わざる,聞かざる,では未来は見えてこない

「見ざる,言わざる,聞かざる」ということわざの意味は,「自分に都合の悪いこと,人の欠点や過ちなどは,見ない,聞かない,言わない,のが良い」ということらしい。

 これって,見方によれば「自己中」ということもできる。昨今の電車の中の風景が,三猿に思えてきたので,メモ代わりに記録しておく。

 通勤者の多くは,車内でスマホの画面にくぎ付けである。つまり周りを見ていない「見ざる」状態にあることになる。同じように,耳にはBluetoothイヤホンが差さっている。音楽やゲームの音に集中しており,周囲の音を聞く耳を持たない。「聞かざる」である。これにマスクをしていれば「言わざる」ということになる。

 平成版,あるいは21世紀版の「三猿」の出来上がりである。電車の車内の9割が三猿状態にあるということである。

 現実から目をそむけて,音楽やゲーム,インターネット情報などのバーチャルの世界に逃避した形になる。それでもまだ,音楽やゲームなら自分でコントロールできる情報だが,これが株価情報や為替情報ともなれば,まさに仮想の価値に振り回されていることになる。

 戦後の高度成長期に育った筆者にとって,技術開発,新製品開発,そして科学研究は,人間の豊かな生活を支え,より多くの知識で知的満足を与え,一方で地球,自然,宇宙への理解を深め,その恩恵を人類が享受する喜びを得るという常に進歩する概念だった。日本人の生活は豊かになり,世界中の人がその製品を喜んで使ってくれて,日本の地位をどん底からトップ2まで押し上げた。

 一方で,排気ガスや汚染水による公害も引き起こし,日本人自身も被害を受けた。その因果関係への責任を当初は無視していた企業も,公害を出さない技術開発で再び認知されるようになった。リサイクル,リユーズなどの技術開発も進んだ。プラスチックの安全な焼却技術も開発された。

 ところが,実はその裏で残念なことが起きていた。つまり,廃棄物の不法投棄である。山の中の人が足を踏み入れない場所に,ゴミや土砂を大量に捨てる。これがのちに,汚染物質が地下水に入って水道水を汚染することになったり,大雨による土砂崩れを招いたりした。

 さらに,廃棄ゴミを大量に海外に「輸出」するという情けない事実が明らかになった。海外の貧困層の人たちが,ゴミの山の中から金属を拾って売ったり,電子機器の廃棄基板を野焼きして配線の金属を取るといった様子が報道されるようになった。非常に危険な作業であり,燃焼時のガスによる健康被害も出ている。さらにゴミの山からの汚染物質の流出も止めることができない。結果として,技術開発,新製品開発の尻ぬぐいを他国の人に押し付けている形になる。

 それでも日本はまだ,公害に対する技術開発をしようという意識は残っているのだが,モノづくりの中心が中国に移ってしまった現在,広大な国土を持つ同国には残念ながら廃棄物処理環境保全といった思想がない。かつてのモノづくり大国であったアメリカも同様で,広大な砂漠に埋めて「臭いモノには蓋」という発想は同じである。

 世の中の人がインターネットを通じて「自己主張」できる時代になった。20世紀は,テレビ,ラジオ,新聞,雑誌,そして書籍というマスメディアを通じてしか情報を得ることができなかった。しかし21世紀はインターネットにつなげばあらゆる情報が入手できるばかりか,自らが世界に向けて情報を発信できるようになった。

 マスメディアは,「正しい情報を伝える」ことが使命だという考えが根底にはある。もちろん,メディアごとに思想や主張の違いはあり,そのバイアスが掛かる場合もある。しかし,放送に関しては電波の割り当てに対して認可が必要で,おかしなチャンネルは存在しなかった。地方FM局も次々に立ち上がったが,健全な内容の放送が行われている。一方で,ケーブルテレビやCS衛星放送で何十ものチャンネルが提供されるようになって,視聴年齢制限が必要な番組も発信されるようになったが,番組を契約する,という敷居は存在する。また,とんでも思想の新聞や雑誌も,それなりの部数や視聴者を集めて発信されてきたが,これも新聞や雑誌を買う,というところで敷居が存在する。

 しかし,インターネットに発信されるあらゆる情報には,ほとんど何の敷居もなくアクセスできる。違法な情報も,間違った情報も,種々雑多である。しかも,SNSという外からは中が見えないクローズドな空間が数多く作られ,いわば「密室」の中で犯罪への誘いや,詐欺行為が発生している。

 マスメディアは,その発信する情報がオープンになった段階で万人の審判を受けることから,情報に責任を持つという姿勢が基本的には守られている。信頼を失えば,経営基盤が崩れるからである。しかし,インターネット上のクローズドな情報発信に対しては,監視機関が存在しないし,監視することがそもそもできない。このブログでも何度も使っている「無法地帯」なのである。

 現実の世の中を見ずに,そのインターネット情報にのみ目,耳を向けている現代人にとって,モノを買うこともクリック1つ,お金を払うのもクリック1つで勝手に届く現実は,実際のモノづくりのプロセスに対する関心がまったく生まれない世界に生きているのと同じに見える。気がついたら,日本製の製品がどこにもなく,すべてがアメリカブランドの中国製品であっても,そのモノが生まれて運ばれてくるうろセスに何の関心もない。

 結局,知らない間に自己破産してしまうような状況になり,お金を得る手段としての闇バイトから犯罪へという泥沼に落ちてしまったり,精神を病んで無差別殺人に及んでしまったりするのだろうか。

 一方で,Youtubeへの情報発信によって予想外の成功を収めてしまうと,ほぼその雑学的な情報発信だけで生きられるように錯覚してしまうのかもしれない。その情報の元になっている製品がどのように作られたのか,そしてどのように使われていくのか,についての思いがまったくない。

 さらに,音楽,お笑い,小説などのエンタテインメントの世界への敷居が低くなり,安易にその世界に入ってしまう人が多くなり,「仕事」が単なる金儲けになってしまう。仕事を通じて未来を描くという喜びがなくなってしまっている。

 スマホBluetoothイヤホンだけで生きる人生を見直してほしい。楽しむだけ,そのための金儲けのための仕事ではなく,現実の社会を見て自分が何ができるのかという目標を見つけて仕事を選んでほしい。初任給に引かれるだけでなく,その会社が何を目指しているのか,その中で自分はどういう役割が果たせるのかを考えて,エントリーしてほしい。大学を卒業する前に自分の未来を見つけて,きちんと仕事に就いてほしい。アルバイトをしながら遊んで楽しむ人生ももちろん可能だが,それでは結婚も子作りも視野に入ってこない。バーチャルな世界に逃げてほしくないのである。