jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

CMのイメージキャラクターに一言

広告にはイメージキャラクターがつきものだが,以前に比べて近年のイメージキャラクターの傾向がずいぶん変わったと思う。

 筆者にとって,テレビは1964年の東京オリンピックの時に白黒のブラウン管テレビ,1968年のメキシコオリンピックでカラーのブラウン管テレビが我が家にやってきた。小学生のころである。コマーシャルのイメージキャラクターと言えば,俳優さんであった。映画俳優と言えば当時は雲の上の人たちであり,宣伝される製品も生活が便利になる魅力的なものだった。顔つきも演技も穏やかで品があり,好印象を演出していた。逆に,決してCMには出ない俳優さんも多かった。

 現在のCMでのイメージキャラクターは,扱いが軽くなっているように感じる。CMを見る我々“庶民”に近いタレントの割合が増えて来ている。これまでCMに出なかった大型俳優さんも,何となく演技が軽くなり,わざと庶民向けのイメージを発信しているように見える。

 そして一気に増えたのが,お笑い系のタレントによるCMである。また,バラエティ系番組の出演者によるCMも増えた。そしてもう一つの傾向が,アニメのキャラクターにアフレコでCMをさせるパターンである。

 お笑い系タレントやバラエティ系番組出演者の特徴は,基本的に「絶叫型」であることである。言葉の一つひとつのテンションが高すぎる。そして,バラエティ番組に出る時と同様に,視覚的な演出が過ぎる。

 顔のインパクトも大きい。正直言って美男美女からかけ離れたキャラクターの人々が本放送もCMもずっとテレビを席巻している。たたき合い,罵り合いなど,リズムも激しい。15秒や30秒の短時間に多くの情報を詰め込んで発信する,という意味では,適した配役なのかもしれないが,とにかく品がない。軽妙な言葉の駆け引きをするのが,お笑い系タレントやバラエティ番組出演者のまさにタレントたるところなのだが,度が過ぎる。

 アニメのキャラクターを使うCMも,過激度が過ぎている。子供向けのキャラクターが子供向けのお菓子や飲み物,食べ物を宣伝するのはまだ理解できる。しかし,未就学のキャラクターに受験塾のCMをさせたり,ヒーローに育毛剤のCMをさせたり,という設定には非常に疑問を感じる。企画する方も企画する方だが,これを受け入れる版権側の意識も疑問がある。視聴者に対してどのような影響があるか,考えたことがあるのだろうか。

 一時期,有名俳優が投資会社や住宅会社,介護施設,健康食品などのCMに起用され,実際は悪徳会社の看板として利用されただけだった,という事件が多発した。CMに有名俳優を起用するためには,多額の出演料を払える企業でしかありえない。不正な金儲けをしている企業や,1成立案件の価格の高い怪しげな企業が,有名俳優をCMに起用した。出演者も,自分の出るCMの世の中に対する影響力を考える思慮がなかったのかと,愕然とする思いである。

 一連の事件のあと,おそらく有名俳優は超優良企業のCMにしか出なくなった。すると,次の出演者ターゲットとして,庶民に人気のお笑い系タレントやバラエティ系番組出演者,ということになる。庶民への影響力が大きいにも関わらず,出演料が“激安”だからだろう。筆者から言わせていただければ“泡沫タレント”が毎日のようにCMに登場してくる。「えっ? このタレントまで?」と思うようなタレントまでテレビ画面に出てくる。彼らは,本職での稼ぎよりもCMでの稼ぎの方が多いのではないかと思えるほどである。CMに採用されるのも能力なので,否定はしないが,「ちょっと待ってくれ」と思うことしきりである。

 テレビ番組そのものも,ほとんどがお笑い系タレントがMCを務めてきている。ゲストをゲストとも尊重せずに,ただひたすら下ネタにツッコミを入れて盛り上げる。これをゲラゲラ笑いながら見ている視聴者がいるから,需要と供給のバランスは取れているのかもしれない。

 CMのないNHKですら,本番組の進行にお笑い系タレントが進出してきている。タモリ所ジョージ立川志の輔の三人は人格者だけあって,視聴者に合わせた進行に徹しているが,それ以外の落語家崩れ,お笑いタレントは自らのキャラクターを変えようとしない。一線は越えてほしくないと常に思っている。

 CMのイメージキャラクター戦略は,基本的には広告代理店の仕掛けではないかと思う。本当に必要な情報提供の形がこれでいいのかどうか,もう一度冷静に考えてほしいものだと思う。