jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

ガスから電気に切り替えて節エネ--火で空気が温まると冷房が余分に必要になる

ウクライナ紛争のあおりで、日本へのロシアからの天然ガス供給がカットされる可能性が出てきた。このため、「節ガス」キャンペーンが北海道を中心に始まったという。

   ガスを主に使うのは飲食店の調理場である。また、銭湯もかつては薪、次に重油、そして現在はメンテナンスの楽なガスで沸かしているという。

   「節ガス」と聞いて、ピンと来なかったという。一日中使い続けて当たり前、という感覚だったのだろうか。

   筆者宅の例を出しても参考にならないが、我が家はもうオール電化にして15年になる。オール電化の話があったとき,阪神淡路大震災で被害にあった実家のことを考えた。実家は,建物は半壊で保証の対象にならなかった。そして電気,ガス,水道とすべてのライフライン(これも和製英語。英語ではユーティリティーUtility)が停まり,避難所生活を余儀なくされた。

 自宅は何とか住める状態だったため,両親は家に戻り,片付けを始めた。もちろんまだ,電気,水道,ガスは止まったままである。

 このとき最初に活躍したのは,石油ストーブだったという。芯に火を点ける「開放型」と呼ばれる昔のタイプの石油ストーブである。マッチさえあれば点火できる。石油ファンヒーターのように電力が要らない。地震が起きた1995年1月16日は冬の真只中で,暖が取れるとともにヤカンでお湯を沸かすことができた。近所の人に温かいお茶をいち早く配れて喜ばれたと言っていた。

 その後,最初に回復したのが電気である。それでも地震発生から1週間後だった。水道の復旧が1ヶ月後,そして都市ガスの回復は3ヶ月先になった。

 このときの話をもとに,筆者宅でも開放型石油ストーブ1基を備えてある。通常は,石油ファンヒーターを使うので,緊急時用である。そして,機会を見てオール電化に切り替えた。

 引っ越してきたときは,プロパンガスだった。これも災害時には強いエネルギー源だが,地震時にはガスの供給が自動的に停まる。これを復旧させる手順はやや面倒である。ガス漏れの危険性もないとは言えず,業者によるチェックが前提となる。その後,単価の安い都市ガスが地域に引かれる計画に賛同して都市ガスに変更した。しかし,ガスの供給が停まることへの不安があり,深夜電力プランでのオール電化にさらに切り替えた。

 オール電化により,台所のコンロがガスからIHヒーターに変わった。火を使わないので,安全性が高まったと感じている。野菜炒めなど,強火でのアオリ料理ができなくなったという不満はあるが,一番のメリットは台所の暑さが激減したことである。加熱される鍋や食材は熱くなるが,その周りの空気は暑くなりにくい。

 話を飲食店に戻してみると,たとえば中華料理ではガスの強力な火力で調理する必要があるため,これをIHに変えることは難しいかもしれない。しかし,常にお湯を沸かしておく必要があるという麺類の店など,電化に切り替えても営業できる店舗もあるのではないだろうか。

 電化に変えるメリットとして,調理場の暑さを軽減できる点が挙げられる。昔と違って,調理場でもエアコンを使用していると思われる。調理場の暑さが抑えられればエアコンの設定も適正にでき,電気の消費量も減らすことができる。総合的に考えると,電化する選択肢もあるのではないかと思うのである。

 電気の需要が増えると,電力逼迫のリスクが高まる。トータルでいかに需要を減らすか,その工夫は電気機器の方がコントロールしやすいと思うのである。