テレビ中継で新体操の練習風景が紹介された。女性ならではの線は、やはり美しいと思わせる要素である。この線は男性には出せない。周囲へのアピールはやはり男女では同じにはならない。
髪型を見ても、男女でアピールの仕方が異なる。大多数の女性は髪を伸ばし、それをシダレさせる。この線も、基本的に女性を感じさせる要素である。
かつて、和服中心では、女性は髪を結い上げていた。江戸時代の大奥や吉原を連想させる。現代でも、結婚式の和装では日本髪に結うことも多いが、日常ではなくなった。日本髪とは、どういう意味があるのだろう。
さて、男性の多くは髪を短くしている。これもある程度の常識的な形がかつてはあった。江戸時代は、チョンマゲである。後頭部にまとめて、頭の上で固定する。マゲが切れるとザンバラ頭になり、かなり長い髪が垂れ下がる。チョンマゲが上向き志向なのに対して、ザンバラ髪は負けである。
現代人のチョンマゲは、やや異様である。チョンマゲに近いのがモヒカン刈りだろうか。リーゼントもチョンマゲの一種であろう。いずれも,相手に対する威圧感はチョンマゲ同様にかなり大きい。一方で,ファッション化したのがサッカーのベッカム選手の頭の上だけ髪を三角に立たせる髪型だろう。街中でもときどき見かける。
髪を上方に盛り上げるのは,権威付けの一種と思われる。周囲から目立つことで,自分がリーダーであることをアピールする。昔の戦における兜の飾りも,その一種ではないだろうか。良くも悪くも,目立つということで自己主張をし,前向きに取り組んでいる姿勢を表現できる。
一方,男性の場合,丸刈りという髪型(?)を主張することがある。短髪をさらに短くした,という意味で正直言えばファッション性がなく,ただ威圧感を与えるだけのように見える。
動物に丸刈り頭はほとんどいない。思いつくのはハゲタカだけである。印象としては,死体に群がる悪党のイメージである。
筆者も中学生の3年間は丸刈りで過ごした。男子はみな丸刈りだったので,ほとんど抵抗はなかった。髪を洗うのも,乾かすのも一瞬で終わるし,汗をかいてもさっと拭けば済む。寝ぐせを気にする必要もなく,散髪代も格安。髪が目に入ることもなく,勉強にも運動にも集中できた。モノにぶつかることはなかったが,もし当たっていたら髪があった方が多少はケガの程度は少ないかもしれない,と思ったぐらいである。
運動部,特に野球部は,高校に入っても丸刈りだった。スポーツをするには特に問題なかった。相手に対する威圧にもなるから一石二鳥かもしれない。
しかし,これが一般社会となると,事情は変わってくる。意図的に頭を丸めているのは,寺社のお坊さん以外は反社(反社会的勢力)と相場が決まっていた。
俳優は,髪が命だと思う。丸刈りは悪役と相場が決まっている。筆者の頭の中は,そういうステレオタイプで固まっている。
お笑い芸人で,丸刈りから丸剃りの人が結構多いのが非常に気になっている。しかも,最近の芸風は,大声で叫ぶ,殴るなど,とても芸とは思えない。筆者には,観客に対する恫喝,間接的な暴力に見える。観客も,自分の気持ちの中に暴力的な部分がある。それを代わりに体現しているのが現在の芸人の“芸”である。
一般社会人男性は,きちんとした短髪の髪型と,きれいに剃ったヒゲが常識的である。日本人は髪もヒゲも基本的に黒いので,トップが黒い逆三角形が標準型とすると,丸刈りは楕円形である。反社の場合は,眉毛も剃ってしまう。
ヒゲも嫌いである。不潔だと感じる。格好いいなどとはまったく思わない。特に,無精ヒゲは最悪だし,きちんと揃えられていても,口の周りにある,というだけで拒絶感を覚えてしまう。
髪がなくてヒゲがある,というパターンは,三角形であり,逆三角形の逆である。筆者は苦手である。
ごま塩頭,白髪,そして丸めた頭は,いずれも威圧感がある。筆者も髪が白くなっているが,それが目立つ前に黒く染めている。人に威圧感を与えたくないからである。そして前向きに生きたいと思っている。特に女性には威圧感を与えたくないと思っている。それは男性としての責務だと思っている。