かつて資源国といえば、中東の石油が世界をコントロールした。その生産量によって化石燃料をエネルギーとする現代社会の動きをコントロールしている。
時代は変わって、化石燃料による二酸化炭素発生が原因とする地球温暖化が進行している。しかし、エネルギー密度の小さい再生可能エネルギーは、エネルギーを生み出す装置を作るのに膨大な化石燃料を使用し、しかも不安定で耐久年数も数十年と短い。化石燃料の使用を止めることができない。
太陽電池パネルも、リチウムイオンバッテリーも風力発電のブレードも、寿命後の再生ができず、単なるゴミになる。二酸化炭素よりも厄介である。
これまでも筆者は、リサイクルには疑問を持ってきた。いくら分別しても、結局は焼却するしかないからである。焼却は「悪」と言われ続けているが、いったん世の中に出たプラスチックを分離する技術も人間の奉仕精神もない以上、埋めるか燃やすしかないと割り切る段階に来ていると感じている。
焼却による二酸化炭素の排出については、これを可能な限り回収する技術で解決する。一方、埋める方法は広大な土地や深い穴を提供すると表明した国が、次のいわば「資源国」となりえるのではないかと考える。つまり、「空間」という資源である。
ゴミや廃棄物は危険物である。人間や生き物に干渉しない土地や空間は、世界中を探してもなかなかない。そのリスクを引き受け、リスクを最小限に食い止め、そして国民がそのリスクを理解することが必要である。しかも、世界中の監視の下に運用できるだけの責任を未来永劫負う覚悟み必要である。
海には、生命から最も遠いポイントが存在する。南太平洋のネモ・ポイントと呼ばれる場所である。ここは、すでに用途を終えた人工衛星を落下させて沈めるために使われており、「人工衛星の墓場」と呼ばれている。
人工衛星は重いので海底に沈み、危険物が陸地に流れて来るのに1000年かかるという。さすがに、一般ゴミが海底に沈むことは期待できないので、ここをゴミ処理場に使うことは難しい。
ならば、人が今後数百年は立ち入らないと考えられ、生物にも影響が少ないと考えられる砂漠か、世界共通とされている南極にあらゆるゴミを埋設することが考えられる。
ゴミ処理を引き受ける代わりに処理料金を取る。一種のビジネスである。「観光立国」よりも永続的に収入が得られる。
土地がない日本は残念ながらこのビジネスに手を挙げることはできない。二酸化炭素を確実に排出させない技術に取り組むべきだろう。一方でゴミを処理してくれる国とタッグを組んで、ウィン・ウィンの関係になったほうがいいかもしれない。