ブランドものは使わない。その理由は,ブランドで自分が価値づけされてしまうのが嫌だからである。
ブランドものを身に付けて歩くのは,自分が金持ちだと見られたいからなのだろうか。筆者には、メーカーの広告塔としてうまく使われているように感じてしまう。
1つのブランドに統一するならともかく、ジャラジャラと何でも身につけているのは、かつては遊び人のすることだった。せめてさりげなく1点主義なら許されるかと思う。
かつては男性にとって腕時計や万年筆は「できる男」の象徴だった。筆者が中学生になった時に、叔母がスイス製の腕時計をプレゼントしてくれた。いい時計なのだが、結構重く分厚かった。取り扱いに慣れていないため、ガラスに傷を付けてしまった。その後,この腕時計はお祝い事などの特別な日を除いては出番がなくなった。ただ,手巻き式なので今でも使えると思う。
日常使い用の腕時計として,国産の「自動巻き」腕時計を買って,長年使ってきた。こちらもバッテリー交換の必要もなかったが,さすがに機械式の不調か,動かなくなった。
そしていよいよデジタル腕時計の登場である。デジタルウオッチといえば「カシオ」の時代で,ストップウオッチ,歩数計,気圧計,温度計など,時計以外の機能が面白かった。価格もどんどん下がった。やがて,電波時計となり,世界時計付きとなり,太陽電池パネル搭載となった。日本の小型デジタル機器の全盛時代である。
現在は,時計は持たなくなった。スマホで時刻が分かるからである。腕時計を着けていると汗をかくのも嫌だったから,ちょうどいい機会だった。ところが時代は,スマホと連動するスマートウオッチの登場でまた変わりつつある。家族もApple Watchを使っている。しかし,聞いてみると主に使うのは時間を読むことと歩数管理することで,健康管理機能はあまり気にしていないらしい。さらに睡眠管理をするには寝ている間も時計をしていなければならないことから,ここでもオーバースペックになっている感はある。
ブランドものの数十万円もする腕時計でも,結局は機能的には時間を刻むしかできない。あとは,価値が上がったら売る,という存在である。モノに対して失礼だなと思うのである。
プレゼントにブランドものをねだる,あるいは逆にブランドものをプレゼントして気を引く,といった風潮には不健全な印象しか受けない。実力で勝ち取れと言いたい。それが質屋に流れてまたお小遣いに変わるなど,悲しいではないか。
機能優先で,文房具などを選ぶのは楽しい。近年では100円ショップの登場で,実にいろいろな面白い商品を手軽に試せるようになった。中にはすぐに壊れてしまうようなものもないわけではないが,クオリティはどんどん上がって,もはや文句のつけようがなくなっている。機能優先の筆者にとっては,いい時代になったと思っている。