jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

耳に穴--後戻りできないので,施術前に再考を。理解できない自分が変なのだろうか。

要はピアスの話である。筆者にはどうしても理解ができない。

 耳に穴を開けて飾り物をぶら下げるという装飾は,エジプト文明の時代や日本の縄文・弥生時代あたりにすでに例があるという。当時は,魔除けのための装飾を身につけるための手段として,耳たぶに穴を開けて飾り物を付けるという宗教的な理由だったようだ。

 日本ではその後,飛鳥時代以降,明治時代までは,耳に穴を開ける習慣は見つかっていないという。西洋文化の影響で一部の女性が装飾していたようだが,本格的にピアスとして流行ったのは,戦後の高度成長期だろう。

 そもそも筆者には,装飾品はおろか服以外のものを身につける習慣がない。結婚指輪も外出時には付けていたが,帰宅すると外していた。腕時計は長い間使っていたが,使わなくなって20年近くになる。ネックレスはしたことがないし,老眼鏡も必要なときだけしか掛けない。マスクも連続使用はできないタチなので,テレワークで自宅作業することを心がけている。

 耳飾りはそもそも付ける習慣がないので,イヤリングにしろピアスにしろ,耳にブラブラしたものが付いていることが集中力を阻害するのではないかと思っている。最近でいえば,IDカードをネックストラップで首から掛けているが,これとて知らない間にカードホルダが落ちてしまうのではないかと気が気ではない。

 イヤリングは,耳たぶをバネの力で挟んで取り付けるため,落ちてしまう可能性が高い。だから落ちにくいピアスを選ぶ,というのがピアス派の意見なのだろうが,そのためにわざわざ耳に穴を開ける必要があるのかといつも思っている。

 ホールを開ける方法として,太めの注射針のようなニードルを刺す方法と,ピアスガンと呼ばれる紙にパンチ穴を開けるような器具を使う方法があるようだ。医療機関ではニードルを使うことが多いようである。まあ,注射針の中でも,たとえば献血のときに使う針は結構太い。そのことを考えると,痛さを感じるのも一瞬なのかな,と思ったりするが,やはり抵抗がある。ましてピアスガンは正直,痛そうである。

 いろいろな装飾物を考えたとき,身体に傷を付けるのはピアスだけである。耳以外にもいろいろなところに穴を開けて装飾品を付けることが行われているが,正直言ってやはり理解できない。

 ネックレスでも,何かに引っかかったら首筋を切りそうなので筆者は付けない。別に意味で,イヌの首輪みたいに何かに従属しているような気になるからである。ピアスの場合も,何かにひっかかったら耳たぶが裂けてしまうのではないかと考えると,やはり怖くてできない。

 イヤリングは,バネの力で耳たぶを挟むので,時間が経つと痛くなるが,ピアスはその点は楽かもしれない。大きなイヤリングは落ちる可能性も高くなるが,ピアスならかなりの大きさや重さの飾りでもぶら下げることができる。それがオシャレの決め手なのだろうか。

 オシャレは,始めだしたら止まるところを知らず,キリがなくなる。ピアスもそのうち複数の穴を開けることが当たり前になってくるのかもしれない。わざわざ1個目の穴を開けなくても,オシャレは十分できるのではないか,と考える。学生のピアス禁止や職場でのピアス禁止などは,やはり勉強や仕事への集中力を維持することが目的なのではないか。筆者の中学時代の丸刈り頭も,変に髪型を気にしなくて済み,勉強や運動に集中できたと思う(恋愛には極めて不利だったように思うが)。オシャレのし過ぎ,お化粧のし過ぎが批判されるのも,同じような理由によるのではないかと思うが,時代は変わるので,1つの価値を押し付けるステレオタイプでは話が通じないのかもしれない。

 ただ,お金もかかるし,術後の感染症のリスク,裂傷のリスクなども考えると,あえて穴を開けることはないのではないか,と思うのである。タトゥー(入れ墨)と同様,一度実施してしまうと消すことができない傷だから,穴を開ける前にもう一度考え直す時間を持った方がいいのではないだろうか。

 余計なお世話かもしれないが,身内で起こりそうな現実に対して,いちおう気持ちをまとめてみた。