jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

「デジタル」が心の鬼の封印を破った--スマホカメラが引き起こす性犯罪

人間の心には「鬼」が宿っている。もちろん,筆者も例外ではない。ウソをつくこともあれば,隠し事もある。思わず手を上げてしまったこともある。訴えられれば「犯罪」扱いになるだろう。歩行時の信号無視,クルマ運転時の速度超過なども「違反」である。他人の心を傷つける言葉を発したこともあるだろう。今なら「ハラスメント」である。

 監視カメラが街中にある。クルマの中にもドライブレコーダーがある。電車に乗っていて反対側の人が使っているスマートフォンのカメラがこちらを向いていると,まるで撮影されているような錯覚を覚える。実際,撮影されて匿名投稿されないとも限らない。筆者が関心を持っているARメガネも,リアルタイムで周囲の風景を取り込んで表示している。すべての行動が録画されていたとしても,気づくことはできない。

 昔から「スパイカメラ」なる盗撮用カメラは存在した。東京や大阪のかつての電気街には,そういう怪しい製品を売っている店があった。目玉が飛び出るような値段が付けられていたが,需要はあったのだろう。

 映画「007」シリーズでは,ポケットに入るような小型のスパイカメラが登場した。幅1cmほどのフィルムで機密書類を撮影して持ち帰る。細かい文字などが写せるのかとも思ったが,プロのスパイが使うそういったグッズは,どういう仕掛けなのだろうかと興味深々だった。

 ところが,現在ではほとんどすべての人がスマホという高性能スパイカメラを所有し,常に持ち歩いている。いや,常に手に持って電源を入れてあり,いつでも写真,動画,音声を記録できるようになっている。スパイなら撮影する姿を偽装しなければならないが,現代人は「スマホを常に手にする」ことがすでに偽装形になっている。つまり,だれでもどの瞬間でも盗撮できる態勢になっているというわけである。

 テレビ番組で「衝撃映像」を集めてゲストと視聴する企画を各局が実施している。映像の多くは個人が撮影し,これをエージェントから買って放映する。1本数十万円も支払っているという。エージェントが個人から買い取る価格は,数千円程度ではないかと思われるが,いいこずかい稼ぎになるのだろう。「スクープ映像」とばかりに撮影されているが,あらかじめ予測して,意図的に撮影を続けているのが実態なのではないかと思われる。

 他人を惹き付けるような映像は,事故だったり,事故回避だったり,あるいはペットなどの面白映像だったりするが,同じ感覚で他人の秘密に触れる映像が撮れたり,あるいは意図的に撮影したりできる環境が整ってしまっている。自分を売り込むYouTuberがいる一方で,他人のプライバシーを拡散することが誰でもできる時代である。

 中でも,盗撮写真・動画がいとも簡単に撮影・拡散してしまっている。

 ニュースでは,学校の教員による生徒の盗撮が頻繁に取り上げられているが,どうも生徒の間でも盗撮が行われて画像が拡散する事態に進展してしまっているようなのである。リンクは張らないが,東洋経済オンラインであるジャーナリストが投稿している。

 筆者の小中学校時代は,せいぜいスカートめくりで,友人がスーパーボールを使ったテクニックを見せていた。ちょっと好意のある女子へのチョッカイ程度だったと思う。何しろクラスメートだから,楽しい学校生活は続けたいからである。

 しかし,昨今はいろいろと陰湿な雰囲気になっている。イジメもそうだし,村八分扱い,グループ化など,厄介な問題が山積している。その中で,生徒同士の盗撮もイジメの一環として行われているようなのである。学校へのスマホ持ち込みが禁止されていることが多いが,現実にこういう犯罪行為まで起きているとは知らなかった。

 かつては,興味があったとしても,カメラそのものも小さいわけではないし,仮にカメラを購入してフィルムを購入しても,撮影後にDPE店で現像してもらい,それを印画紙に焼き付けなければ手元には届かない。いくつもの物理的,心理的な障壁があって,まず実際に行動に及ぶ人はなかったはずである(ちなみにDPEは「現像・焼き付け・引き伸ばし」というフィルム時代の写真の作り方である)。

 しかし,デジカメやスマホは,撮影した瞬間に画像を視ることができる。ほぼすべてがオートフォーカスで,被写体を見なくてもピントが合う。しかも露出も自動な上にHDR(High-dynamic-range)が搭載されていて,暗い被写体でも黒潰れすることなく撮影できる。シャッター音を消すことも,撮影ランプを消すこともでき,まさに盗撮カメラに適した機能を持っている。特にスマホは,常時ネットワークにつながっており,撮影した次の瞬間にはインターネット上にアップロードでき,その次の瞬間には無限に拡散できる。しかも,いったん拡散したデータを消去することは,ほぼ不可能と言っていい。意図せずに誤ってアップロードした画像でも,意図的にアップロードした画像でも,もはや誰の手にも負えない勝手歩きのデータになってしまうのである。

 筆者も個人的には,階段を上る際の女性の脚や腰回りに視線は行く。しかし,スカートはよくできていて,どれほどミニスカートでも下着が見えることはまずほとんどない。それでも期待してしまうのが男のサガである。チラッとでも見えたら,ラッキーと思ってしまう。しかし覗き見や盗撮は,不自然な姿勢や機材を使うことで犯罪の意図があると判断される。

 動画に至っては,かつてのビデオカメラはズングリして目立った。主に学校のイベントなどで自分の子供を撮影するためにズーム機能が重視されたためで,そのために大型のレンズを搭載していた。しかし,デジカメの動画機能やスマホの動画機能は目立たない。ズーム側を使うことはほとんどなく,まず広角側であり,盗撮に持ってこいなのである。

 従来のビデオカメラは高画質を目指して圧縮率の低いフォーマットでハードディスクやデジタルビデオテープに記録していたが,これが圧縮率の高いMP4フォーマットが標準となり,大容量化した半導体モリーに格納され,これを取り出してPCで編集してDVDなどに保存する,という使い方だった。しかしスマホでは,同じMP4フォーマットで撮影した映像を,すぐにネットワークにアップロードできる。動画編集ソフトすら,無料で使えるものが出ている。

 さらに,写真や動画を共有サイトにアップロードして相互に鑑賞する機能のあるSNSが若者に受け入れられた。筆者は個人的には,自分の写真をアップロードすることはない。メールに添付して送るか,家族のグループSNSのアルバムにアップする程度である。他人の写真や動画をただ楽しむという趣味もないし,他人に見てもらおうとも思わない。この辺りの感覚が,若者とは乖離している。ここから個人情報が流出したり,場所を特定されたりして,犯罪につながる危険があることが盛んに言われているのにも関わらず,相変わらずの人気である。

 一方で,筆者が家族のグループSNSで家族だけで共有しているのと同じ感覚で,盗撮画像をグループSNSで共有するコミュニティーがいろいろできており,教員による共有サイトも同じ仕組みだったようである。匿名やペンネームで参加できたりして個人が特定されないことで,歯止めが掛からなくなってしまったようだ。

 「デジタル」は,簡単に一線を越えてしまう。倫理や道徳といった感覚がマヒしてしまうのだろうか。人間の心の中に潜む鬼が,封印を破って出てきてしまう。それを押さえる理性が働かなくなってしまっている。

 生徒による盗撮が現実だとすると,その盗撮をシェアするコミュニティーも存在することになる。そこには,先生はおろか,親も入り込むことはできない。恐ろしいことが現実になっている。

 いったん便利さを享受してしまうと,後戻りができなくなるのが人間である。仮にSNSなどのシステム側がこうした犯罪行為ができないようなプラットフォームを作ったとしても,そこに乗り換える人はいないし,不正なプラットフォームを閉鎖できたとしても,また新しいプラットフォームが立ち上がるだろう。しかも,すでにはびこっている裏ネットワークを通じて拡散するので,追跡のしようがない。

 「男女七歳にして席を同じうせず」と『礼記』(儒教の最も基本的な経典である「経書」の一つ)にある。紀元前の教えである。戦前の日本は小学校2年生以降は男女で学級が分かれた。戦後生まれの筆者は,男女共学で和気あいあいと楽しかった。

 現在,男子校,女子校を共学にする動きが活発で,明確に残っているのが群馬県と埼玉県ぐらいしかなくなっている。教育の機会均等,男女機会均等で,男子の進学校に女子が入れないことが差別だと思われているようである。

 しかし,女子高に進んだ生徒に聞いてみると,なんでも自分たちで決めて行動する中で自立心が湧いたと感じる生徒が多く,男子の視線を感じないで思い切り行動できる良さがあるという。逆に男子校では,女子の存在に浮かれることなく,受験に向けて集中できる面もあると考えられる。共学高校に進んだ筆者も,体育や水泳は男女別クラスだった。

 むしろ,男子校,女子校に分けたうえで,男子校は男性教員,女子校は女性教員のみとすべきではないかと筆者は考える。別に,花嫁学校にするわけではなく,バリバリの進学校にすればいい。とかく荒れやすい男子生徒を扱わなくて済むとなれば,女性教員の成り手も増えると考えられる。

 女子大学もどんどん改編されて共学校になる動きがあるが,逆に医学部や理学部などの学部を作って女性医師や女性研究者を輩出する機能を持たせた方がいいのではないだろうか。お嬢さん大学は,もはや不要である。

 かつて,あらゆる産業は“力仕事”だったため,男性が中心の社会が出来上がった。しかし現在は,機械化,コンピュータ化により,農業でも漁業でも,女性の感性を生かした産業を構築できる。サービス業,金融業,そしてインターネット産業も同様である。残念ながらモノづくり産業は力仕事中心なので男性が活躍すればいいが,逆に3Kの環境を嫌ってサービス業は金融業,インターネットなどの柔(やわ)な仕事にシフトし,モノづくり産業が減退している。そこに海外からの労働者が入り込み,やがて産業そのものが海外に流出してしまう。女子高,女子大と進んだ人材が,どんどん起業するような社会であってほしい。女性社員だけでガンガン突き進んだ方が,話も早い。

 2000年前の礼節を今のデジタル時代にアレンジした,『デジタル礼記』が必要かもしれない。