1900年代の終盤にインターネットが出現し,世界がつながることで相手を理解し,より平和で豊かな世界になると筆者は感じていた。世界中の情報リソースが手に取るように一瞬で得られ,まさしく「情報革命」と思ったものである。
Webサイトでの情報発信は,「ホットリンク」という仕組みによって体系化され,さらに「検索」という仕組みでリスト化できるようになった。かつての情報収集では,収集先をまずリスト化し,個別にアプローチするという流れだったので,主要な情報源の情報が中心となった。新規の情報源は,新聞のニュースリリースを丹念にチェックするしかアプローチの方法はなかった。
一方,SNS(Social Networking Service)は,当初は個人同士の便利な会話に使えるものだと思っていた。いわゆる「チャット」でおしゃべりするように短いメッセージ交換を繰り返すためのシステムだと思っていた。ところが,一方では個人の「非公式な情報発信」に使われ,もう一方では「閉じられたグループ」を作ることで犯罪の温床になってしまった。
「非公式な情報発信」ツールとしての最大の利用者は,政治家である。特に,多数決を必要としない各国の大統領や政党代表が,議会制民主主義の流れを無視して自己主張を発信する場として使われるようになった。代表的なのはアメリカのトランプ大統領の「勝手関税率」宣言である。世の中が彼のSNS発信に翻弄されている。そして日本でも,選挙活動での発信が世論を大きく動かしたことは記憶に新しい。筆者の感覚からすると,これは「独裁者のツール」である。
リーダーを目指す人の本音が分かるという意味で,これまでのマスメディアを通じた情報よりも「生」の声が聞ける可能性はある。かつて,佐藤栄作首相は記者会見の席上から新聞記者を追い出した。テレビ映像で自分の生の声を国民に届けたいという意志だった。メディアは途中で情報を操作できる危険性を持っているからである。実際,発言の一部だけが抜き出されて強調されるなどの不適切な情報発信があり得る。
では,SNSでの情報発信が「一次情報」として正しいのかと言えば,現在のシステムではその保証はない。というのも,誰でも情報発信者となることができるということは,たとえば筆者のように匿名で情報発信したり,別の人間が本人を偽って情報発信することもできるということである。現実に,フェイク情報の発信は山のようにある。さらにそのフェイク情報が一瞬のうちに拡散してしまうという危険な仕組みになっている。
現在のWebサイトは,SSL(暗号化通信)によってセキュリティを高めた「https://」で始まるサイトがほとんどで,サイトアクセスの情報の盗聴や改ざんのリスクを減らしている。残念ながら,httpsだからといってフェイクなサイトではないという保証はないが,少なくとも接続そのものの安全性は保たれる。
同様に,SNSでも別の意味でのセキュアな仕組みが必要だと思うのである。
すでに,登録時に本人かどうかの確認でスマホなど別メディアへの二重セキュリティは一般的になったが,これも複数のスマホ契約などの手段で回避できないtも限らない。
しかし逆に,軍事的,あるいは犯罪組織的な情報ネットワークまで簡単に組み込むことができていることが,テロを加速している点も否定できない。
学生時代に仲間の情報交換手段としてマーク・ザッカーバーグが開発したFacebookが,SNSの最初だと言われている。必要は発明の母なのだろうが,筆者としては厄介なものを開発したものだと思っている。実際,筆者が使っているのはLINEの家族ネットワークだけである。個人情報の流出や,見知らぬ人たちとの遭遇などのことを考えると,恐ろしくてとてもできない。
正直,インターネット上の情報の信頼性は,生成AIの登場でさらに下がっていると言える。フェイク情報を簡単に創出できてしまう。
情報が独り歩きしてしまうことに,システム開発者は何の疑問も感じなかったのだろうか。お金でも芸術作品でも,本物と偽物を区別するための何らかの仕掛けは必ず付ける。生成した情報に別の情報を組み込む仕組みを,早急に開発して提供してもらいたい。これはいわば「PL(製造物責任)」である。現在の生成AIもSNSも,どれを取ってもPLの要件を満たしていない。そして当然ながら,そのシステムを使った人物の特定もできなければならない。