jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

鎮圧と鎮火--業界専門用語では違いが分かりにくく,一般報道では使用を避けるべき(「鎮静化」「鎮火」の使用を提案)

連日の山火事のニュースが続いている。報道側もまたいろいろと情報を仕入れてきて,いつもの「専門家による解説」がやたらと増えてくる。やれ,飛び火とか,地表火と樹冠火の違いだとか,WUI(ワイルドランド・アーバン・インターフェイス=荒野と都市部の境界面)が必要だとか,後付けの解説を組み込むのは,メディアの常套手段だが,役に立つものと立たないものの判断をしてほしい。

 WUIという言葉が数日前に初めて紹介されたような気がする。火事は山火事に限らず,初期消火が重要で,初期消火に失敗すると東西南北に指数関数的に広がっていく。そのためには,火事が拡大する前に消火しなければならない。山火事の場合,その拡大を効果的に防ぐのがWUIだというわけである。この場合は自然の防火帯のことを意味する。川や谷といった燃え方に差のある境界線で食い止め作戦を集中する方法である。

 現代社会のように,居住環境がどんどん自然の中に食い込んできているため,いったん山火事が起こるとその火災が居住地まで簡単に広がり,家屋が焼けたり人的被害が出たりする。ロサンゼルスの山火事でも,韓国の山火事でも,そして日本各地で起きている山火事でも,家屋の火災被害がかなり出てしまっている。

 クマやサル,シカ,イノシシなどの野生哺乳類が街中に頻繁現れるようになったのも,自然と人間居住地が接近しすぎて,いわゆる「里山」がなくなったことが原因の1つと考えられる(気候不順で野山にエサが少なくなったことも原因の1つと考えられている)。里山は,かつては燃料としての薪を採集に人間が出入りしてきた森林地帯である。このために,下草を刈ったり,樹木を間引いたりして管理が行き届いていた。この管理によって,火種となる樹木が適切に維持され,山火事の延焼を防ぐ効果もあった。

 一般の家の消火ですら,1軒の火事に数十台の消防車が初期に駆け付けたとしても,消火までに数時間かかってしまう。結果的には火元の家は全焼して焼け落ちてしまう。ならば,住民の有無確認が取れている場合は積極的に破壊することで火種となる材料を取り除く破壊消火も視野に入れた方がいいのではないか,と提案している(火事・山火事に「破壊消火」。江戸時代に学ぶ - jeyseni's diary 2021/8/11)。山火事に対しても,防火帯をあらかじめ作る,あるいは火災発生時には近代林野機械で素早く防火帯を作ることを提案している(火災に江戸時代の知恵「破壊消火」--山火事では防火帯を素早く作る重機の装備を - jeyseni's diary 2025/3/1)。延焼を食い止めることで,火元に対して水を集中的に掛けて効果的に消火につなぐ作戦がほしい。

 結果的に,ほぼどの山火事でも鎮火に最も効果があったのは「雨」だった。広範囲に水が撒かれた形になり,周囲が防火帯の役目を果たし,結果として消火活動と併せて鎮火に成功したことになる。この結果から,たとえば雪国における「消雪シャワー」のような放水システムを構築したり,山火事の際の放水の方法を考えたり,できるような気がする。

 さて前段で「鎮火」という言葉を使った。火災の場合,鎮圧は「消火活動により火災の勢いを弱くした状態」,鎮火は「火災が消火され、消防隊による消火活動が必要となくなった状態」という使われ方をしている。だがこれはいわば「業界専門用語」

 しかし,「鎮圧」はたとえば「デモの鎮圧」とか「クーデターの鎮圧」など,力によって事態を鎮める,という使い方もできるため,一般人の感覚からすると“事態は収まった,終結した”というように捉えられかねない。今回の山火事のニュースでも,「鎮圧された」と表現されると,全面解決したような印象を受けるのである。

 たしかに,「消火」には時間的な経過の要素があり,火災が進行している間の活動はすべて消火活動なのだが,「消えてしまった」という最終段階も指すことができる。「鎮火」も消火活動の最終の1点を指しているのだが,「鎮=しずまる」という言葉によって“勢いが弱まる”という印象も受けて,まだくすぶっているのではないか,という意味にも取れてしまう。むしろ「鎮圧」の方が“完全に消火した”といった間違った捉えられ方をしてしまう危険があるように思える。

 筆者的には,報道においては「延焼を抑制」「火災拡大の抑制」という具合に,分かりやすい言葉を使った方がいいと思う。そして完全に消火を完了した場合にも「消火を完了」「完全消火」と言い換えるべきだと思うのである。

 日本人は,二字熟語や四字熟語が好きだし,若者は何でも短縮言葉にしてしまうと,メディアはよく報道しているのだが,短縮言葉を最も好むのは,メディアそのものである。それは「見出し」(タイトル)の文字数が決まってしまうからである。

 新聞では縦3段分とか4段分とかに見出しを入れなければならない。かつては「活字」という鉛製の判を並べて紙面を作っていたので,見出しの最大文字数が決まってしまう。そこに情報を入れるには,熟語や短縮語を“発明”しなければならなかった。国の名前を漢字1文字で表現したり,外国人の名前をカタカナ1文字で表したりすることも多々あった。

 時代が進んでコンピュータによる電子組版が行われるようになり,文字は縦に延ばしたり(長体)縮めたり(平体)して,スペースに入れられる文字数を多少増やすことはできるようになった。ところがインターネットではこの文字の変形がまた通用しなくなり,枠の中に見出しを収めようとすると短縮語を使ったり,果ては本文とは無関係なまるで広告のような過激な表現まで使われて,本文へ誘導する傾向も増えている。クリック数を稼ぐという変な目的のためである。

 戦闘や暴動を静めたときに使う「鎮圧」は,非常に強い印象を与える言葉だと思う。これにより,ほぼ一般生活が送れるようになった,という印象を受ける。しかしそれは「一時停止」である可能性も否定できない。戦闘や暴動が再び始まるかもしれない。情報を受け取る側が誤解しないとも限らない。逆に「鎮火」の方が「火が静かになった」とも読めて,まだ燃えているが弱火になった,といった印象を与えかねない。

 メディアは正直,「間違いを極端に嫌う」仕事なので,何でも「専門家」に責任転嫁するのが常套手段である。行政や消防が「鎮圧した」と発表したら,その言葉を使って「〇〇火災が鎮圧」とタイトルを表記するものだから,読者,視聴者はミスリードされる危険がある。山火事の場合,せめて鎮圧は「鎮静化」として使用せず,完全消火の場合に「鎮火」のみを使うというのが,誤解を招かない報道の在り方だと思うのである。

 ほかにも,災害や悪天候に使われる用語が相変わらず混乱したままである。これは気象庁の怠慢でもある。そこにメディアの関係者も加わって正しく伝わる言葉の模索を早くすべきだろう。もたもたしていると次の大地震に間に合わなくなる。