jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

OFF PEAKな人は、もう出るな

タレントは嫌いである。テレビや舞台でしか活動せず、スポンサーの金で生きている。それをのさばらせているメディアも最悪である。地上波テレビは,どのチャンネルに回しても,タレント司会,タレントコメンテーター,そしてタレントゲストのプライバシーの吊るし上げである。当然のように,タレント司会者がトップに君臨しているため,暴走を止められない。話芸に優れているだけに,放送コードギリギリのところでうまくかわしているのだろう。失言と思われるものは,ほとんどない。さすがにタレントである。

 タレントが“失言”するのが,プライベートにおいてである。DVであったり,浮気であったり,暴力事件だったり,薬物であったりと,ありとあらゆる非社会的行為が報道される。シロであることはなく,クロであり,実刑が科せられることも多い。

 一般人が犯罪を犯してしまった場合,その人を取り巻く小さいながらも一つの社会の中では,居場所がなくなる。家族,勤め先,友人関係,近所関係などから孤立するだろう。家族全体が孤立することもある。村八分状態である。そこからの復帰はなかなか容易ではない。更生プログラムや更生管理者も用意されているが,社会の目は甘くなく,色メガネで見られたりする。こうした社会からの断絶によって,本人の意識がまた悪の方に向かってしまったり,理性で自分を抑えられなくなったりする。初犯を起こさせない社会が必要で,その主な原因である貧困や格差をどうなくしていくかが,社会の永遠の課題である。

 タレントとして世の中で活躍できるようになるまでの道は厳しいと思う。100人いても花が咲くのはそのうち1人とか2人といった世界なのではないかと思う。俳優,女優の世界と違って,自分の才能を認めてもらえるかどうかは,そのときの社会情勢に大きく左右されるだろう。経済が発展を続けていた時代は,芽が出なければそのまま消えてゆくし,芽が出ても一瞬でかき消されてしまうことも多い。いわゆる「一発屋」タレントである。

 今の日本は,経済も停滞し,世界からの評価もどんどん低くなっている。世界の動きの中でもたついていて,どんどん取り残されて行っているように見える。新しい価値観が生まれてこない。インターネットの世界は素人の無法地帯と化し,テレビの世界はお笑いタレントの無法地帯と化している。

 このためか,いったん犯罪を犯したタレントがまたテレビ画面に復帰するケースが多々見られるようになった。テレビという社会は,なぜ復帰を認める,あるいは積極的にサポートするのだろうか。

 過去に「一発屋」と呼ばれたタレントが,この新型コロナウイルス禍における時差出勤のキーワードに合わせて「OFF PEAK」芸人としてトレインチャンネルのCMに登場している。これは新しいメディアの中で本人たちの新しい側面を引き出した珍しい成功例だと思う。テレビという元のメディアにはなかなか戻ってはこない。しかし,しゃべくりタレント系でテレビ復帰しているのを見て,正直言ってメディアの常識を疑う。早々に画面から消えていただくことを願っている。

 おそらく政治の世界でも,先頭に立って活躍されている人たちは,「(政治的)能力がある」という意味での「タレント」なのだろう。国会議員になるのに,地方議会議員から出発して地盤を築き,地域の長になったり,国政に進出し,そしてさまざまな役職経験の末に大臣になり,手腕を発揮して初めて世界や社会に認められる。下積み生活も長いことだろう。権力を手にすると人は変わってしまうのか,取り巻きが変わってしまうのか,自分の思うように人を動かせることが自らの才能だと思い込んでしまう。そうすると,人の意見を聞かなくても,自分の思いどおりに世の中を動かせるようになり,周りが見えなくなる。

 現職の首相の仕事は,正直言って激務である。菅首相も,長い官房長官時代には多くの案件の舵取りをしてきた政治手腕があるにも関わらず,首相になってからの官僚対応,野党対応に振り回されて,本来すべき国政の方向づけという仕事ができていないように見える。狡猾な政治家ではあるが,安部前首相のように「口でかわす」才能はお持ちではないのかもしれない。

 そこにまた厄介な問題として,森喜朗オリンピック委員会会長の暴言と,さらに火に油を注いだ二階幹事長の暴言という,一度権力を握って味を占めて世の中を意のままに動かそうとするOFF PEAKな政治家の存在が出てきた。派閥の長と言われる人たちは,おうおうにしてこのタイプだろう。だから派閥を構成できるとも言える。表の政治に対する裏の政治である。

 これまでのスポーツ振興やオリンピックの誘致活動に森氏は相当の政治的手腕を振るってきたようだ。スポーツ省の設立にも関わっているということを聞いて,「誰も意見を言えない」闇の世界が構築されていたことを知った。

 いまさらだが,ひょっとして東京へのオリンピック誘致に政治的な動きや金の動きが絡んでいたのではないかと勘繰ってしまう。森会長の発言に対するバッハIOC会長の容認発言も,何か裏のつながりを感じる。

 おそらく現時点でも「俺が辞めてオリンピックがうまく行くのか,スポーツ振興事業がうまく行くのか」と息巻いているのではないかと推測する。一国の首相というPEAKを経験し,その後も思う存分裏の世界に君臨できたのだから,この際,勇退した方が自分の評価につながると思う。2012年に議員を辞し,2013年には日本経済新聞のコラム「私の履歴書」にも登場し,そこで花道を飾ったのだから,ここで汚名を残すのはどうだろうか。OFF PEAKして,そのうえで表に出るのなら,「開会式に今度は俺が鬼滅の刃の炭治郎役で登場して笑わせてやろうか」ぐらいのユーモアが必要なのではないか。そのためには,ここで自らの仕事に幕引きし,意外なOFF PEAK出場で好感を得た方が世の中に受け入れられるのではないか。いつまでも権力にしがみついている,と思われるのが,まさに老害である。マッカーサー元帥は,これに似たような立場で格好いい言葉を残したようだが,その後,政界進出を狙ったという。消え去りゆかなかったのは,やはり社会からは失笑されるのではないか。