相変わらず、ビジネスマン(今回の話の対象は「男性」限定のため)の服装は、ダークスーツが定番である。相手のある仕事なので、一定の礼儀を示すのに楽だからだ。しかし、昨今は黒、紺以外のスーツをほとんど見かけない。
1980年代に社会人になった筆者は、冬場はダークスーツだったが、ダークグレーを好んだ。また夏場はライトグレーやライトブラウンを好んだ。黒は礼装用、紺はリクルート用という意識でできるだけ避けてきた(当時はリクルートスーツというのも特になかったように記憶している)。
1990年代まではバブル直前まではイタリアンスーツも流行った。ダブルボタンだったり、明るいブラウンのものもあった。やはり活気のあるころだったと思う。
2000年を過ぎると不景気で、スーツの色が黒か紺に収まって行ったようである。独立起業した若い経営者は、好んでカジュアルウェアを着こなして行った。そこに大きなギャップが生まれた。
筆者がグレー系のスーツからブラウン系のスーツに変えたのは,1980年代後半に1年間,アメリカに留学して帰国してからである。アメリカでは白熱電球が多く使われていた。日本人の筆者には薄暗く感じて,勉強に必要な蛍光灯スタンドを購入したぐらいだったが,逆に下宿の大家さんから「まぶしくて寝られないよ」と指摘があった。大家さんのベッドルームと筆者の部屋が廊下を挟んで向かい同士にあり,ドアの下の隙間から光が漏れて大家さんのベッドルームにも入っていたらしい。とりあえず,ドアの隙間にモノを置いて光が廊下に漏れないように工夫したが,国によって光の感じ方が違うということに気づいた瞬間だった。
アメリカにいる間,ほとんどはラフな格好だった。日本に帰国してからまた仕事に戻ったとき,自分の着ているスーツがなんとも“色気がない”色に見えた。自宅の照明も,リビングルームは暖色系の蛍光灯に変えていった。
そこで,思い切ってブラウン系のスーツに総入れ替えする決断をした。これまではデパートで“吊るし”のスーツを買っていたが,このときの自分の感性に合うスーツには出会わなかった。さすがに専門店でオーダーするには高すぎる。出会ったのは,ダーバンの若者向けの新しいブランド店だった。ブラウン系のいい感じのスーツがそこにあった。当然のように,手持ちのネクタイもこの新しいスーツに合わなかった。このブランド店でスーツに合うネクタイを選んでもらい,ついでにワイシャツも革靴も購入した。一気に3セットも揃えたので,その投資額は相当なものになった。その後もスーツはこのお店を愛用したが,ネクタイやワイシャツは徐々に自分で感性を磨いて,コストパフォーマンスのいい商品を取り合わせるようにした。その後,この店がなくなったのは悲しい限りである。
クールビズが始まったのが2005年らしい。このキャンペーンのおかげで,ノーネクタイが普通にできるようになった。しかし筆者の感性では,これまでのスーツでノーネクタイというのはどうもバランスが取れない。そこで,会社で許されそうな範囲でいわゆるビジネスカジュアルに切り替えた。ズボン(今風にいうとパンツ)はチノパンにし,これにジャケットを合わせることにした。チノパンがブラウン系なので,元のスーツの上着を合わせるのは容易だった。考えてみると,このときからほとんどネクタイをすることはなくなった。
逆に,若い世代はデザイナーズブランドのおしゃれなスーツを着るようになっていたが,筆者はこの動きにはもう付いていけなかった。ただ,従来のスーツでネクタイなしという姿よりは,若々しく見えるのではないか,という自己満足で現在まで至っている。
景気が悪くなるとダーク系のコートが増えると言われるが,昨今は昔のビジネスコートではなく,アウトドア用の防寒コートを着る人が増えた。それでも通勤の波を見ると黒っぽい人の流れが目立つ。筆者もかつてはダークグレーの厚手のコートを着ていたが,現在はブラウン系のコートを愛用している。人に合わせているように見られるのが嫌なので,自然と自分流になってしまっている。まあこの歳なので許されるかなと思っている。
このテーマを取り上げたのは,黒や紺のスーツを着ながらデイパックを背負っている姿が,筆者の目にはいかにも変に映るからである。一時期は,フューズボックスと呼ばれる四角い大容量のデイパックを背負うビジネスマンも見かけた。現在の主流は,ビジネスバッグを縦にして背負うタイプだが,残念ながら筆者にはこのタイプも受け入れられない。やはりスーツの場合はバッグを手で持った姿が美しいと思うのである。
また,スーツでデイパックを背負うと,肩の線が崩れてしまうことが考えられる。スーツの肩の線は重要なポイントなので,ここの形を崩す荷物の持ち方には,抵抗がある。筆者的には,もう少しビジネスカジュアルが広まって,個性的な通勤スタイルが広がることを望んでいる。