jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

楽な歩き方をすると「脚が弱る」という仮説

筆者はこの歳(前期高齢者入り)になって、歩きが格好良くなっていると自負している。ずっと感覚が鈍かった左脚がしっかりと地面を捉えられるようになった。これに引き続いて、膝関節のねじり方向の感覚や、足の裏の感覚がシャープになった。足首を伸ばしても、これまでは痛みしかなかったが、しっかり伸ばせるし、力をグッと加えてもさらに逆方向に伸ばせたりできる。足の裏も、親指の母指球だけで体重を支えたりできるようになった。

   かつては、まるでスキーのブーツを履いたように、左脚が1つの塊のようだった。それが、股関節も膝関節も足首も足の裏も、それぞれが機能して連携して体重を支え歩行に貢献している。少し速めに歩いたり、階段をじっくり体重移動させながら上がったり、膝のクッションを効かせて階段を降りたりして、歩行を楽しんでいるのである。

 30歳でぎっくり腰も起こし,その後の微妙な痛みと不安な状態が15年も続いた。結婚して子供ができて,子供を抱っこしてあやすうちに背中の筋肉が鍛えられて,腰痛が解消した。やはりある程度の運動や負荷トレーニングは,ストレッチやリラックスとともに必要だと感じている。ただ,やり過ぎて痛みが残ったり,怪我をしてしまうと,その回復のために時間がかかり,その間の運動やトレーニングができなくなって,さらに能力が低下してしまう。怪我などを起こさない手前で負荷を止めるための意識が必要だとつくづく思う。

 そこで気になっているのが,街中をヨボヨボと歩いている筆者よりも年配の年寄りである。10歳ぐらい年上になるのだろうか。とすると,あと10年経つと自分もあんな歩き方をするようになるのか,いや自分はそうはならない,と思いつつ,すれ違ったりしている。背中が丸く曲がり,腕や脚が外側に丸く広がって,まさに先祖返りしたような歩き方だったり,足を引きずるようにゆっくり歩いたりしている。躓いたらあっと言う間にこけてしまいそうである。

 一方で,若い人の歩き方を見ていると,颯爽と歩いているように見えるのだが,ただ漫然と脚が前に出ているだけのように見える。革靴を履いている人も多く,足首も膝も柔軟に使っているようには見えない。かつて筆者もそうだったように,ちょっとした段差に引っかかったり,階段でバランスを崩したりする可能性があるように見える。

 これはまだトライアル中だが,足首や膝,腰,そして腕の振りも含めて,それぞれの関節にかかる負荷を意識しながら,決してハイテンポにならずに歩くことを,現在意識して歩いている。

 たとえばちょっとした下りの段があったときに,いままでは無造作にドンドンと下りて,下側の足裏で体重を支えるだけの降り方だったものを,上の段に残した脚の膝も曲げ,モモの筋肉で体重を支えながら下側の脚に体重を移し,さらに下側の脚は膝,足首,足裏を意識してクッション性を効かせて体重を受け,同時に上側の脚は後ろにキックして体重を前に移すという一連の動きを少しゆっくり目に行っている。

 逆に上り段では,意識的に早めに膝を上げて足先が段に引っかからないようにし,段を捉えたら足首,膝,モモに力を入れて体重を引き上げるとともに,下側の足首にグッと力を入れて身体を持ち上げ,スムーズに体重移動しつつ,下側の足首を後ろにキックして上の段に移る,ということを意識している。

 平坦な道でも,これに準じて,意識的に前側の脚を前に早めに出すことと,後ろ側の足首で最後に地面をキックして前に推進することと,膝や腰,足首のそれぞれの関節にまっすぐだけでなく,ひねりの方向に力を入れるように意識して歩いている。以前に紹介したスケーティング歩行である キックしながら歩く--脚の衰えを防ぐために考案 - jeyseni's diary (hatenablog.com) 2022/3/2。

 足裏を意識したり,足首を柔軟に使うためには,革靴やヒールのある靴は最悪だと思う。靴底が固く,靴の中でも足が自由に動かないため,地面の凹凸に柔軟に対応できないからである。これまでの経験だと,ベストと思われるのは幅広のスニーカーで足先の横方向に余裕があって足の指を動かしたり少し開いたりできるもので,柔軟だがしっかりと足にフィットする靴を選びたい。買ってすぐのスニーカーでは少し硬いし,靴底も厚めで硬いのが気になるが,少し履けば足にフィットしてくれるだろう。そういう意味では,地下足袋が意外にいいかもしれない。地下足袋風のスニーカーも売られている。

 通勤はいろいろな意味で“痛勤”なのだが,毎日一定量の歩行をする,という意味では便利な習慣である。仮に通勤がなくなっても,どこかの喫茶店サテライトオフィスとして歩行に努めて,しっかり歩みを意識してこれからのさらなる高齢社会に臨んでいきたいと思う。