jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

「ら抜き言葉」は,いずれ絶滅する--AIは「ら抜き言葉」を使わない(はず)

ら抜き言葉」は,筆者のような昭和生まれ人にとっては耳に不快に響く。動詞の活用を「声を出して」覚えてきたので,耳が響きを覚えている。したがって,自分が使うことはないし,仮に何らかの拍子に口から出てしまったとしても,耳がすぐに違和感を覚えて修正(言い直し)するだろうと思う。

 人間が物事を記憶するプロセスとして,「声を出して」読むことが非常に役に立つ。声を出すことで,同時に耳で音を聞き,複数の刺激が交差して記憶に留まるからである。ここにさらに,手で文字を書きながらだと,頭は目,耳,喉,そして手と複数の感覚を交差させて記憶する。非常に強固な記憶として形成される。

 ところが,現在はまず手で文字を書かない。書かないから漢字を覚えられないということがよく指摘される。パソコンのタッチタイピングは目で見て手を使って入力するので,本来は記憶の手助けになるはずだが,場合によっては1文字を入力した段階で単語や熟語,あるいはかなり長い文節が変換候補として表示される。指が覚えようがない。ましてや,スマートフォンフリック入力でも連続タップのトグル入力でも,入力するのは1文字目のひらがなだけで済む。これでは記憶に残らない。

 さらに言えば,パソコンの連文節変換(ひらがなで1文全部をタイピングし,一気に変換する方式)では,途中の熟語も文脈から連想して正しい漢字に変換するはずなのだが,同音異義語に変換されていても気がつかない。その間違いをチェックしようという気持ちすら,すでに無くなっている。文,単語,漢字に対する感覚がマヒしているのである。まして,動詞の活用語尾など,どうでもいい,という風潮では,ら抜き言葉になっても気がつかない(ただし,ワープロソフト側で「ら抜き言葉」を変換ミス警告として出してくれるものもあるが,たいていはスルーだろう)。

 昨今のテレビもWeb動画も,スーパーインポーズで話している内容が文字でも表示されることが多くなった。ここでは,話し言葉ではら抜きであっても,文字はら有りの正しい表記がされることが多い。言葉の訓練を受けたテレビ局側の担当者が文字への変換をしているので,ら抜き文字に違和感を覚えるからだろう(逆に,同音異義語への誤変換は増えているように見える)。

 ほかにも「チゲーヨ(違うよ)」も活用の誤りだし,「すごい」と「すごく」の誤用も多く見られる。

 毎年行われる「新語大賞」を主宰している「現代用語の基礎知識」は,創刊以来さまざまな場面で参考にさせていただいているが,こういう活用形がらみの話題はあまりなかったと思う。言葉の番人でもある岩波書店の「広辞苑」も改訂のたびに新しい言葉が入り,逆に使う頻度の減った「死語」が削除されていく。削除された言葉を集めた辞書もまたできているが,やはり活用形には無頓着な印象はある。

 おそらく,生成AIで作られた文章では,「ら抜き言葉」は出てこないと思われる。また,日本語学校で学ぶ海外からの人たちも,「ら抜き言葉」は教えてもらわないので使わないだろう。ひょっとしてあるとすれば,アニメ映画や動画を視聴した海外の人が,まず意味は字幕でキャッチしながら,音として「ら抜き言葉」を身に着けてしまう可能性だが,筆者が知っている複数の外国人の日本語は,実に正しく美しいものだった。

 正直,現代の日本人だけが,「ら抜き言葉」が正しいと思っている(いや,間違っているという認識がない)人々なのではないだろうか。映画や文学で基本的に「ら抜き言葉」が使われることはないので,やがて海外から「お前,日本人なのに日本語の使い方が間違っているよ」と指摘されるような恥ずかしい段階が来るのかもしれない。