jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

推測のみの「専門家」と感想ばかりの「素人」で構成するワイドショーに改めてウンザリ

 京都府丹後市で11歳の男の子が行方不明になった案件は,男の子の養父による犯行が発覚し,遺体も発見された。養父が逮捕された翌日にあたる今日2026/4/18時点では,遺体を遺棄した罪での逮捕となっている。殺害という罪状はまだ付いていない。
 遺体が見つかったことと,養父による自供,養父が学校に送った後に行方不明になったという養父からの自供などから,「養父が男の子の遺体を森の中に遺棄した」ということだけが事実として存在しており,その他の経緯や原因などは一切不明な段階である。もっとも,自供そのものが正しいという保証も,今のところはない。すべてが状況証拠の段階である。
 それにも関わらず,昨日はすべてのワイドショーがほぼすべての時間を使って今回の事件について報道していた。遺体が発見されたということ以外,何一つ事実がない段階である。司法解剖段階では,死因すら不明となっている。死亡推定日時のみが明らかになっている。殺害したという供述もまだない。
 しかし,どこで,いつ,どのように,誰によってといった事件性について,ワイドショーは警察OBという「専門家」と,いつもの「素人」芸能人ゲスト,事件現場からの中継を行うキャスター,そしてストーリーを煽るMCというメンバーで,ああでもないこうでもないと騒ぐいつものワイドショーを展開した。昼の12時から,そして2時から,4時からとどのワイドショーも基本的には同じ内容である。“推理”の域を得ない内容は,サスペンスドラマと大差なく,最終的に番組内での結論が出ないのだから,同じ内容の繰り返しばかりになる。
 番組の途中で,何か進展があったら速報する,といった根性なのだろうか。しかし,昨日時点では何の進展もなかった。
 現場周辺で,マスコミなどのメディア陣や野次馬が,何か新しい発見をすることはまずありえない。基本的には,事件なら警察からの正式な発表でしかありえない。現場で拾える情報としては,野次馬や近隣住民に状況をインタビューするぐらいだが,かつてまともなコメントに出会ったことがない。
 一方で,被害者や加害者(犯人)が特定されるやいなや,その本人の写真を何とか得ようとして,出身の学校の古いアルバムから切り抜いて報道したりする。中学生時代や高校生時代の犯人の顔が紹介されても,当時から問題児だったのかどうか,といった雰囲気を写真から感じられるかどうかということ以外,何の意味もないのだが,相変わらずこの手法も続けられている。
 筆者の知り合いは,男の子の父親が実父でないことを知って最初から疑問視していたという。しかし,容疑者として逮捕された後も,相変わらず「父親」という呼び方をしている。これでは,世の中の「実父」であるほとんどのお父さんたちが,自分の息子を手に掛ける可能性を示しているようで,まことに気分が良くない。
 実の親子の間でも,さまざまなトラブルがあり,事件に至っている例も多い。しかし,今回のように実の親子でないケースでの事件の確率はより高くなることは容易に予想できる。もちろん,それを根拠とした憶測は,差別意識に基づくものであり,個人として感じたとしても,公共のネットワークを通じての発信は望ましくない。その点では,マスメディアの報道には一定の配慮があったと思われ,これは一種の報道協定によるものとも理解できるのだが,SNS上で元警察官を名乗る「専門家」による明らかな偏向情報発信が行われていたことに,腹立たしい思いがある。
 残念ながら,今回は養父による犯行という線は間違いないようだが,何となく腑に落ちない点もまだまだ多いことに,情報発信の難しさを改めて感じた一件である。今日は土曜日であり,おそらくまた同じ内容の繰り返しのワイドショーが繰り広げられるのだろう。明日の日曜日もそうだろうか。ウンザリなのである。