「女性」は生物学的な女性だけ トランスジェンダー巡り英最高裁 | 共同通信 (2025/4/16)。イギリスの最高裁での判断が出た。筆者は,この判断を支持する。
そもそも,いくら女性の恰好をしようが,男性器を手術で無くそうが,男は女性にはなれない。精神的に女性だが身体は男というトランスジェンダーが,精神的に悩んで苦しんでいることは理解できる。そして手術までして女性の身体を手に入れたとしても,それは女性とは異なる。
今回のイギリス最高裁の判断は,特にスポーツにおける男女の扱いであり,元々が男の身体であれば,骨格も筋肉も,そして内臓の機能も,女性のそれとは比べられないほど有利であり,女性の大会において圧倒的に有利なことは明白である。
女性の中でも,生まれつき体が立派で,男性と見間違うほどの体格の人もいないわけではない。しかし,女性という基準の中での上位と位置付けられる。
一方,生まれが男性の場合,思春期以降の男性ホルモンは成長ホルモンであり,骨格,筋肉,内臓機能のいずれも自然と強靭になる。トランスジェンダーとして意識するのは思春期を過ぎてからであり,すでに男性としての身体は出来上がっている。そこで,精神的に女性だと主張し,さらに男性のシンボルを取り除いたとしても,すでに身体は男として出来上がっている。運動能力が女性を上回ることは明白であり,同じ土俵で競技することは適切ではない。
逆に,女性が男性として参加した場合,明らかに体格も運動能力も男性のトップアスリートには及ばない。中位ぐらいまでは行けたとしてもトップになることはなく,男性の競技に加わるメリットは全くない。
つまり,「女性」を定義するだけで十分条件として成立するのである。
日本のお笑いの世界に,女装して加わっている人が多数いる。これは,女性に対する侮辱である。女性が同じ主張をした場合,ハラスメントを受けるのは目に見えている。本来,女性でない男が女性の恰好をして主張することで,言いたい放題ができる。これはフェアではない。
同性のカップルの場合,たとえば男性同士のカップルでは,いずれかが女性役となる。別に周囲に迷惑がかかるわけでもなく,女性の領域に立ち入ることもないので,問題はない。女性同士のカップルでも同様である。何ら問題はない。
そもそも,男性が「女性になりたい」という意味をトランスジェンダーとして100%苦しんでいるのかどうかを判定することができない。どこかに女性の世界に入り込みたいという下心がないとは言えないからである。表面上平静を装っていても,それまで男性として生活をしてきた人物が,女性の世界を普通に受け入れられるとは思えない。またそれを証明することも,測定することもできない。したがって,「女性」は生物学的な女性だけ,という判断のみが支持できる内容であると筆者は考える。
トランスジェンダーとして精神的に苦しんでいる男性が本当にいるのか,信じることはできない。トランスジェンダーとして苦しんでいる女性は信じることはできる。この辺りが,女性と男性の感性の違いだと思う。
男女平等・同権は当然だが,力仕事,汚れ仕事は男性に任せてほしい。汗水流して仕事して,女性から「格好いい」と思われたい,そういう単純発想ができるのが男なのである。「そういうのは俺に任せて」と言うことで,女性に頼ってほしいと思うのが男なのである。土下座が似合い,その効果があるのは男だけなのである。そこは男を評価してほしい。そして,身体を張って女性を守る,というのが男の美学だと思うのである。まあ,その汗臭さ,泥臭さを評価されなければ,男としての立場はなくなり,逆に暴力的な暴君になってしまう危険性があるのも男である。女性は男性を手のひらの上に乗せてうまくコントロールするだけの技量がほしい。時にはご褒美を与えれば,男性は女性に従順に従い,平和な家庭が作れると思うのである。