"オールドメディアだけでは不可能" 「SNS時代の万博」で顕在化した市民参加型の「日本文化」発信 「ボトムアップ型」国際交流のレガシーとは | インターネット | 東洋経済オンライン。こちらの文章を読ませていただいた。なるほど,現代の日本人の視点では,こういう見方をするのだな,と思った。
筆者は大阪・関西万博が2025/10/13で閉幕--ソフトばかりのエンタメショーで終わる - jeyseni's diary (2025/10/15)とコメントし,「見て目新しいものなし」という感想を述べた。要は,「見る」万博ではなく,「参加する」万博に変貌してしまったということである。筆者は,これを「見るべきものなし」としたが,現代人は「参加して楽しい」が万博の意味だと解釈しているわけである。
本来なら万博は「未来社会」を描く場だと考える。今回であれば,目玉としての無人運転車や空飛ぶクルマなどで“未来社会”を描き,日本の技術をアピールするべきだったのではないだろうか。あるいは,3Dプリンターでパビリオンを作ったり,ヒューマノイドロボットが食事を作ったり配膳したりするようなイメージで,日本を表現すべきではなかったろうか。
あるいは,再生可能エネルギーと陸上養殖・植物工場など,世界の課題に対するプレゼンテーションをすべきではなかったろうか。会場は狭いが,海に隣接していることを考えれば,波力発電や鳴門の海流を使った海流発電,そしてエネルギー密度の高い水素発電なども提案することができたのではないか。
それを,木造の大屋根リング,噴水ショー,ドローンショー,各種タレントによるイベントなど,エンタテインメントショーの場になってしまったと思う。それが今の日本をアピールするコンテンツだったのだろうか。
次の万博は,5年後にサウジアラビアの首都で開かれるリヤド万博である。敷地面積は大阪万博の4倍にもなるという。なんだか,資金力も技術力も桁違いに大きいような印象がある。それこそ,自動運転を含めた「ウーブン・シティ」のような理想的な街を実現した会場になるような気がする。おそらく,生成AIもまた新しい段階に入っていることだろう。
会場に行って参加した人は,楽しめただろう。SNSで発信することで,その情報が伝わったという意味では,面白いイベントだったのかもしれない。しかし,何も新しいものを残さず,形にもならなかったことを,改めて考えるべきだろうと筆者は考える。