jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

異性に関心がなくなったらオバサン,異性にお金を使いたくなくなったらオジサン

筆者は女性の気持ちが理解できないので,いつも失敗してきた。いまさらコメントしてもまた怒られるだけなのだが,筆者の備忘録として記することにする。まあ,昨日(正確には今日)から前期高齢者の仲間入りしたので,年寄りのたわごととお許し願えるとありがたい。

 筆者は男に生まれて良かったと思っている。今も雇われの身で,雇い主からは厳しい注文が与えられて凹んでいる。男としては,上に立てた方が生き甲斐も大きいのかもしれない。今は一人部署で最初から最後まで自分ですべての仕事をしている。人に仕事をさせるのが下手で,すべて一人で抱え込んできた。雇われ人として基本的な収入が得られているので,逆らうことなく黙々と仕事を続けている。独立して仕事ができるだけの能力はない。年金で暮らせれば仕事は辞めたいところだが,蓄えもないので,この歳でも怒られながら仕事をしているというわけである。「男はつらいよ」という感じである。

 それでも,思いっきり勉強もできた。浪人を許してもらい,希望の大学にも進めた。学生時代から一人暮らしも許してもらい,学部の一般的な進路から外れた仕事につき,関西から東京に引っ越しすることも許してもらった。苦しい家計からサポートもしてもらった。

 勤めた雑誌社では,素晴らしい先輩方に恵まれた。一から仕事を叩き込んでくださったばかりか,筆者の得意なデジタル系の仕事を任せていただいた。記者はすべて男性という職場だったので,気を使うこともなかった。

 結婚し,子供も育ち,あと1,2年で社会人になる。筆者の親のようなサポートができるかどうかは心もとないが,できる限りサポートしてやりたい。そのために,我慢して宮仕えを続け,その代わり健康にはできるだけ気をつけている。

 勤め人としても,家族の長としても,「責任を果たすこと」が肝要だという気持ちでここまで来られたのは,正直言って「自分が男に生まれたから」という意識が自分を支えて来たからだと改めて思っている。男だから人に頼れない,男だから責任を持たなければならない,男だから自分の家族は支えなければならない,そういう意識だった。

 古臭いな,と思いつつ,筋を一本通して来れたのは,自分の誇りである。また自信にもつながっていると思っている。

 こういう余計な正義感が,世の中にとっては迷惑だと思われているのかもしれないが,とりあえず自分の人生は,この自信や正義感が支えていると思っており,最後まで貫きたいと思っている。

 世の中の男性は,多かれ少なかれ,こういう「男に生まれたから」という価値観を背負い,それに押し潰されそうになりながら生きている。筆者は何とか潰されずに生きて来れたと思っている。まあ,潰されそうになりかけて,何度も逃げ出した訳だが。

 筆者が女性として生まれていたらどうだったろうか。ここまで自由気ままに育ててもらえただろうか。我が娘には,ピアノやバレエなどの習い事をさせた。同じような情操教育を筆者もさせられたかもしれない。勉強に打ち込むよりも,習い事や文系の部活などを楽しむことを勧められたかもしれない。浪人もさせてもらえず,ほどほどの大学に進み,ほどほどに就職しても許されたのではないか。結局,誰かと結婚すれば,自分のやりたいことを捨ててもその家庭に入る,といった道を選んだのではないか。

 正直言って,世の中の女性は,自分が先頭に立って,たとえば仕事場で出世することを考えたりすることはないのではないか。これが政治家になると,話はさらにややこしくなる。男の場合,いつかトップに,つまり首相になろうという野望をどこかに持って政治家を目指す。そのために,あらゆる手段でのし上がろうとする。女性の場合,意見を言いたいために政界に向かうが,先頭に立とうという野望まで持っている人は少ないのではないか。先頭に立ったときの責任の取り方を理解できないのではないか。

 女性には女性らしくあってほしい,と思うのは,「男性の論理」だと言われる。男親は娘には女性らしく育ってほしいと思うものである。息子には男らしく育ってほしいと思うものである。男の子は,世の中の嵐の中を進ませなければならない,という思いがあり,そのためにできるだけいい教育を与えたいと思う。一方,女の子は,将来は誰かと結婚して子供を産み育てて家族を守るだろうという思いがある。

 若い女性に,政治家になって日本のリーダーを目指せ,というのは酷な気がする。もちろん,最初からトップに立ちたいと思う女性には,政治家だけでなく,企業のトップも目指してほしい。もちろん,専門職としてのトップ,つまり医者や弁護士などの資格を持って一匹狼でトップを目指してもいいが,それでは残念ながら学校で成績トップとなったのと同じである。組織のリーダーにはなれない。

 来週の自由民主党総裁選挙で,2人の女性候補のうち1人が総裁に選ばれるかもしれない。そして日本の首相になるかもしれない。家族はそれをサポートしてあげてほしい。そして,仕事に全力で取り組んでもらいたい。

 組織のトップでバリバリ働く女性のイメージは,いい意味で「オバサン」である。世の中で言われている「オバサン」とはちょっとイメージが違うが,男性と互角に戦える女性をオバサンと言わせていただきたい。

 世間的には,男性に興味・関心がなくなったらオバサン化したと言ってもいいかもしれない。子供に手がかからなくなって,パート仕事でも始めようとしている辺りから,オバサンの仲間に入るのではないだろうか。パート仕事では正直いって低賃金で働かされるだけで充実感がないのではないか。ならば,街の自治体の仕事や学校の仕事など,地域の仕事や,ボランティアなどを通じて行政に関わり,そこから政治の世界に入っていくのが,いいと思う。男性の場合,最初から政治家の使いっ走りになり,秘書を経て政界に打って出るという人生はありうる。しかし女性の場合,本当に使いっ走りで終わってしまうことが多いのではないか。家庭を守りながら,世の中にも関心を持ちつつ,社会活動を通じて政治家を目指す道があってもいい。

 ちなみに,男性のオジサン化についても考えていたのだが,こちらは女性にお金を使いたくなくなったらオジサン化した,と言っていいのではないかと思うようになった。きちんと女性とお付き合いをするには,お金がかかる。それをタダで済まそうとする意識が,ひょっとしたら性犯罪にもつながっていくのではないだろうか。無意識に女性に対して発する言葉や行動は,ハラスメントにもつながる。

 政治の世界で,若い女性議員にハラスメントを働く男性議員がいる。企業と同様,基本的に男性社会の論理で動いている組織だからである。言い方は悪いが,オバサンにはだれも手を出さない。若い間は,場に合わせた服装や態度を取るべきだろう。スキを見せては,揚げ足を取られる。むしろ,いい意味でオバサンの生き方で場に入り込んで行くぐらいの神経がなければ,互角には戦えないだろう。そこで居場所ができれば,あとは勉強力,知識力,想像力,発想力で勝る女性は,男性より上を行ける。

 人の前に立って自己主張するのが政治家という仕事である。若い女性が政治家を目指すなら,あえていい意味でのオバサン化を目指してはどうだろうか。いつまでも「美人議員」などと言われていると,対等な立場には立てないと思うのである。