jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

顔の肌率

男女の肌の露出度についてもう一度考える。数値化できることを目指す。

 女性の場合は,肌の露出度が高いほど女性としての魅力を発揮する。攻撃体制と防御解除。これでは同等であるはずはなし。 - jeyseni's diary (hatenablog.com) 2020/12/12。男性へのアピール度は上がるが,無差別にアピールすることから,性犯罪を誘発する可能性が高い。逆に男性の場合は,肌の露出度が高いほど公序良俗違反の度合いが高いと判断する。多くの女性にとって,不愉快な度合いが高くなる。全身については,筆者は「出さないに越したことなし」と思っている。オシャレとの兼ね合いが難しいところだが,危険との背中合わせであることは認識した方がいいと思う。男性については,仕事の場では出してはいけないと思っているし,カジュアルでも程度をわきまえるべきだと思う。

 この肌率を,首から上に限定して議論したい。

 まず男女ともだが,髪で片目や両目が隠れるような髪型はやめてもらいたい。昔から,アニメの世界では片目を髪で隠した主人公が出ていた。ブラック・ジャックゲゲゲの鬼太郎など。鬼太郎は,目玉オヤジがそこにいるという設定なので仕方がない。しかも妖怪なので,おどろおどろしさを持たせる意味はあったかもしれない。片目を髪で隠した姿は,おどろおどろしさを感じる。

 ファッションとしてのサングラスは,目の表情を見えなくする。これも相手に対してプレッシャーを与える。太陽光に対して視力の弱い方は仕方がないが,一般の方はできれば避けた方がいいと考える。マスクも,口元の表情を隠してしまうので,できるだけ避けたいアイテムである。新型コロナウイルス禍では仕方がない部分だが,サングラスと同様に黒いマスクやグレーのマスクには抵抗がある。黒マスクへの個人的意見(追加更新あり) - jeyseni's diary (hatenablog.com) 2020/9/27。逆に,肌色のマスクを着用すると,口がないような印象になり,不気味に感じる。普通の白マスクでいいのではないだろうか。もう一度,白マスクに戻って国民の意思表示を - jeyseni's diary (hatenablog.com) 2021/3/16。

 帽子も,目深に被ると目の表情が見えなくなるので,対人的にはよくないと思う。よくある野球帽などのキャップは,ヒサシが目を覆いやすいので,基本的にいい感じがしない。男性の意識改革についての提言 - jeyseni's diary (hatenablog.com) 2020/8/5。

 帽子,サングラス,マスクと3点そろうと,全く顔を認識できない。キャップ+サングラス+マスク=やはり怪しく見える - jeyseni's diary (hatenablog.com) 2021/3/11。つまり,顔の肌率0%は,日本ではアウトである。「目出し帽」となれば,もう銀行強盗しかイメージにない。イスラム教徒の女性はヒジャーブ(スカーフ)で顔を隠すが,これは宗教上の決まりであるから,日本国内であろうと容認すべきだろうが,日本だと忍者が顔を覆い,影の存在である。メガネとマスクは,花粉症対策としても必要なので,できるとすれば帽子をなくすか,浅く被った方がいいだろうと考える。

 逆に肌率が100%に近づくと,相手に対する圧が高くなる。目から下が約50%だとすると,普通の額がある場合は60%~65%が顔率だと言える。約2/3までが普通かなと思う。これよりパーセンテージが上がると,いわゆるオデコちゃんになる。女性の場合はオデコちゃんでも,一般に顔全体の面積が狭いので,圧は少なく,魅力に見えることもある。しかし男性の場合は,圧がどんどん高くなる。

 地肌でなくても,短髪,丸刈り,スポーツ刈り,などの髪型は,肌率アップと同様の効果があり,圧が高い。長髪でも,ロマンスグレーや白髪は年長者をイメージさせる圧がある。本人は「優しいおじいちゃん」を演じているつもりでも,周りにはそうは見えないことが多いのである。

 眉毛のあるなしも,肌率に関わってくる。病気で眉毛を失う方も多いので申し訳ないが,正直な印象である。したがって,わざと眉毛を抜くという対応は,圧のある印象を作ると言わざるを得ない。

 逆に不思議なことに,ヒゲは多ければ多いほど圧が強い。短くても,面積が小さくても圧が強い。ないに越したことはないと考える。

 顔の表現は個性なので,印象も人それぞれである。筆者がそう思うだけのことなのかもしれない。顔の大きさ,髪の量など,年齢による避けられない要素もある。しかし,それに気を使うか使わないかで,相手の受ける印象も変わるし,知らない間にマウンティングになっているかもしれないという自覚も必要だと思っている。